あがり症の原因①ー視線恐怖症
あがり症の原因①ー視線恐怖症
あがり症の原因の一つに、視線恐怖症があります。
視線恐怖症とは、その名の通り「他人の視線」を恐れることです。
「目は口程に物を言う」「目は心の窓」なんて言いますよね。
「目」自体はものをしゃべりませんが、なんとなく「目」はその人の感情を代弁しているように思われています。
たとえば、「敵視」とか「蔑視」とかだと相手を憎んだり蔑んだりするときに使うし、反対に「憧れの眼差し」「尊敬の眼差し」だと相手に敬意や憧れを抱くときに使われます。
相手が自分にどういう感情を抱いているのかは、そのときのシチュエーションや相手との関係性によって決まってきます。
凶悪犯が逮捕されたときには、世間から「敵視」や「蔑視」が凶悪犯に向けられるし、アイドルがファンに囲まれたときには、アイドルはファンから「憧れの眼差し」で見られます。
酷いあがり症だったとき、私は何よりも観客の視線を恐れていました。
まるで、観客の視線一つ一つが鋭い矢のように、私の全身をグサグサと刺しまくるような恐怖を感じました。
そして、そのときの恐怖が高じるあまりに、あがり症になってしまいました。
しかし、なんでこんなにも観客の視線が怖いのか、そのときの私はさっぱり理解できませんでした。
心理療法であがり症の原因を探るうち、ようやく「観客の視線が怖い」理由が分かりました。
私があんなにも観客の視線に恐怖を感じていた理由-それは、小学1年生と小学4年生だったときの「2つの事件」が関係していたのです。
小学1年生のときの「上級生女子2人組因縁事件」
それは小学1年生だったときのある日のこと、下校途中に事件が起こりました。
ポツポツと雨が降っていて、傘をさしていたのを覚えています。
自宅までの1本道、50mくらい先を上級生女子2人組が歩いていました。
彼女たちは時々立ち止まり、私の方を振り返っては何事かをヒソヒソと2人で話し合っています。
明らかに私のことを話しているんだろうな、とは思うものの、何で彼女たちが私のことをそんなに気にするのか、さっぱり理解できません。
やがて彼女たちは立ち止まり、私がくるのを待ち構えていました。
すると、彼女たちは私を取り囲み、「なんで、私たちの後をつけてくるのよ!」と因縁をつけてきたのです。
小学1年生だった私にとって、上級生は体も大きいし、立派な大人です。
そんな彼女たちが幼い私を見下ろして、口々に因縁をつけてきました。
ただ一人でトボトボと歩いて帰宅しようとしていただけなのに、突然身に覚えのない言いがかりをつけられて、私はパニック状態になりました。
怖さのあまり、泣き出したくなるのを必死でこらえてうつむいていたら、ようやく彼女たちは自分たちの愚かさに気が付いたようでした。
「もういいよ、行こう」と、そのまま彼女たちは歩いて去って行きました。
後に残された私は、突然自分を襲った悲劇にうろたえていました。
なんとか自宅までたどりつくと、しばらく放心状態だったのを覚えています。
2年生になって新設された小学校に通うようになるまで、自宅までの一本道が怖くて怖くてたまりませんでした。
「また、あのときみたいに上級生女子2人組が私を待ち構えていて因縁をつけてきたら、どうしよう?」という恐怖でいっぱいでした。
やがて新設された別の小学校に通うことが決まった時、心底ホッとしたのを覚えています。
「良かった。もうあの一本道を歩かなくて済む。きっと、あのときの上級生女子2人組とも会うことはないだろう」と。
新設された小学校に通い、小学2年生のときの担任の先生はとても優しい先生だったのを覚えています。
私は、いつもにぎやかにお喋りする、どちらかというと元気いっぱいの小学生でした。
先生も優しくて、学校に通うのが毎日楽しみでした。
ところが、小学3年生になって担任教師が変わったとき、またもや悲劇が私を襲います。
担任教師暴力事件
私が在籍していた小学校は、小学3、4年生と5、6年生は同じ先生が担任することになっていました。
小学2年生のときの先生がとても良い先生だっただけに、担任教師が変わることに内心不安を覚えていました。
しかも、「噂によると、えこひいきする先生みたいだよ」という話が子どもたちのあいだで交わされました。
その話を聞いて「イヤな先生だな」と、子ども心に残念に思いました。
ところが、その教師はえこひいきするどころの話ではありませんでした。
今だったら新聞沙汰になりますが、その担任教師ーO先生は、「暴力教師」だったのです。
噂によると、以前担任していた生徒が作文コンクールで賞を取り、それが書籍化されたとのことでした。
O先生は「2匹目のドジョウ」を狙ったのか、生徒たちに作文を書かせるノルマを課していました。
1週間に1本、作文を書いて提出しないと、O先生は「見せしめ」として、作文を提出できなかった子どもの頭をみんなの前でげんこつで殴るのです。
はじめは真面目に提出していた私も、だんだんO先生のやり方に辟易してきました。
その頃から芸術家?気質だった私は、
「作文なんて、書きたいことがあるから書くものであって、書きたいこともないのにノルマで書くようなものじゃない」と、反抗心を覚えていました。
やがて、提出のペースが落ち始め、作文を提出できない日が続きました。
提出できない日は、「お約束」でみんなの前でげんこつで頭を殴られます。
あるとき、「何で、作文を書いてこなかったんだ?」と、O先生から尋ねられました。
そのとき、何と言ったのかは忘れましたが、私が口答えしたことにO先生が激高し、私の髪の毛をつかんで教壇を引きずり回しました。
突然始まった「O先生による暴力ワンマンショー」に、教室中の生徒たちが固唾を飲んで私を見つめました。
そのとき、「痛い」とか「怖い」という気持ちよりも「みんなの前でこんなことをされて、自分がみじめだ」という気持ちでいっぱいでした。
その後、どうやって「O先生による暴力ワンマンショー」が終わったのかは覚えていません。
ただ、それをキッカケにして、さらなる悲劇が私を襲いました。
「先生が暴力を振るうくらいだから、アイツをいじめてもいいんだろう」という認識が子どもたちの間でできたようで、その日を境に私に対するいじめが始まりました。
私からしたら「泣きっ面に蜂」もいいところでした。
小学生時代はまさに「暗黒の時代」で、良い思い出には恵まれませんでした。
やがて大人になり、これらの2大悲劇は私の中で記憶の片隅に追いやられました。
ところが、小学校を卒業して20年以上経った発表会で、あがり症に形を変えて私を襲ったのです。
脳が警告を出してくれていた
脳は、過去の出来事と現在の状況の区別が付きません。
私が「観客の視線が怖い」と思うとき、私の脳は「小学1年生の事件」-上級生女子2人組が私を見つめる目と、「小学4年生の事件」-固唾を飲んで私を見つめる同級生たちの目とをオーバーラップさせていました。
脳は、「あのときと状況が似ているから、ここから一目散で逃げろ!」という警告を出していたのです。
ただ、当の私にとっては何でこんなにも観客の視線が怖いのか、さっぱり理解できません。
理性で考えれば、見ず知らずの観客たちが私を憎む理由がありません。
それでも、私の脳は「小学生のときの2大悲劇」を思い出して、「不安や恐怖」という形で警告を出してくれていました。
心理療法で「あがり症の原因を教えてほしい」と願ったところ、即座に「上級生女子2人組事件」が脳裏に浮かびました。
そのとき、「あぁ、そういうことだったんだ・・・」と、長年の疑問が氷解しました。
あがり症の症状それ自体は、やっかいなものですよね。
手足がガクガクブルブル震えたり、激しい動悸がしたり、大量の発汗がしたり・・・
でも、それらすべての不快な諸症状は、すべて脳が私を守ろうとして警告を出してくれていたのです。
視線恐怖症の治療
心理療法で一つ一つ「小学生の時の2大悲劇」で受けた心の傷を癒しました。
一つ、心の傷を癒す度に、観客の視線に対する恐怖が薄れていきました。
それを繰り返すうち、ついに完全に視線恐怖症を克服することができました。
なんと、観客一人一人の目とアイコンタクトできるようになったのです。
今では、他人の視線に恐怖を覚えることはありません。
今思い出しても「小学生の時の2大悲劇」は楽しい思い出ではありません。
しかし、心の傷を癒すことで、そのときのことで人生を振り回されるようなことは無くなりました。
過去に起きた出来事は消せませんが、過去に起きた出来事のせいで負った心の傷を癒せば、誰でもその時の出来事を「乗り越える」ことができるのです。
ぜひ、あなたにも過去に起きた出来事を乗り越えて、人生を自分の思い通りにコントロールできるようになってほしいと思います。