フォーカル・ジストニアの治療ー「音楽家としての自分」に対するこだわりを無くす

フォーカル・ジストニアの治療ー「音楽家としての自分」に対するこだわりを無くす


フォーカル・ジストニアの治療ー「音楽家としての自分」に対するこだわりを無くす

フォーカル・ジストニアに悩む音楽家をカウンセリングしていると、ある「傾向」に気が付きます。

それは、「音楽家としての自分」に対するこだわりが強いことです。

私は趣味でクラシックギターと声楽を習っていました。

子どもの頃にピアノを習っていなかったので、楽譜は読めないし、テンポもよく分からないし、お粗末なレベルです(^^;。

そんなド素人の私からすると、音楽を職業のレベルまで高めた音楽家の皆さんはすごいなぁ・・・と、素直に尊敬します。

なりたくても全ての人がなれる訳では無いのが「音楽家」という職業ですから、音楽家の方がお仕事に誇りを持つのは当然のことだと思います。

しかし、私がカウンセリングしているフォーカル・ジストニアに悩む音楽家の方は、どうもその「音楽家としての自分」に対するこだわりが強すぎるようなのです。

そんな彼らがフォーカル・ジストニアを発症したことで、パニック状態になります。

実際に、フォーカル・ジストニアを発症したショックで、パニック障害まで発症してしまった音楽家の方もいます。

関連記事:フォーカル・ジストニアとパニック障害

フォーカル・ジストニアを発症してしまっては、音楽家としてのお仕事ができなくなってしまいます。

「演奏活動ができない」=「収入が無くなる」「音楽家としてのポジションが他人に奪われる」のですから、パニック状態になるのも理解できます。

しかし、私はパニック障害まで発症してしまう「心の弱さ」そのものが、フォーカル・ジストニアを発症した原因なのではないか?と思いました。

「せっかち」なフォーカル・ジストニアのクライアント

フォーカル・ジストニアを発症した音楽家の治療にあたる、とある脳神経外科医は、「フォーカル・ジストニアを発症する人は、みんなせっかち」と仰っていたそうです。

「せっかち」を脳科学的に説明すると、「セロトニンが不足している」ということになります。

セロトニンは、ストレスにより不足します。

セロトニンが不足すると、精神的に落ち着かなくなり、強い焦燥感に駆られます。

つまり、フォーカル・ジストニアを発症した音楽家は、強いストレスに襲われていたということになります。

「強いストレス」にはいろいろありますが、配偶者との離婚や死別、破産等が挙げられます。

これとは別に、その人の「ストレス耐性が弱い」せいで、他の人にとっては何でもないようなことでも「強いストレス」になることがあります。

フォーカル・ジストニアを発症した音楽家をカウンセリングしていると、「人生の転機」時にフォーカル・ジストニアを発症していることが分かります。

そしてその「人生の転機」と呼べる出来事は、その人の「音楽家としての真価」が問われるようなことなのです。

たとえば、音大の卒業試験、大掛かりなコンサートへ出場、海外の音大への留学、プロの音楽家として独立等です。

こんなとき、自分に自信がある人は、ストレスやプレッシャーをそれほど感じません。

「失敗しても、成功しても、私は私」という揺るぎない自信があるからです。

ところが、「根っこ」のところで自分を信用していない人は、強いストレスやプレッシャーを感じます。

「もし、この仕事がダメになったら、自分は音楽家としての価値が無くなってしまう」という恐怖を覚えます。

そして、その恐怖が高じてフォーカル・ジストニアを発症してしまうのです。

大変皮肉なことですが、「音楽家としての自分」に対する強いこだわりがあるばかりに、「音楽家でない自分はダメな人間だ」という強い恐怖も同時に生まれます。

長い人生には、いろんなことがあります。

フォーカル・ジストニアを発症しなくても、不慮の事故で音楽家生命を絶たれてしまうことだってあるかもしれません。

そんなとき、「音楽家としての自分」に対するこだわりが強かったら、絶望して徹底的に落ち込んでしまうことでしょう。

しかし、「音楽家としての自分」に対するこだわりが無く、「音楽家である前に、1人の人間として私には価値がある」と信じている人なら、それほど絶望的に落ち込みはしないと思うのです。

このことを考えると、「音楽家としての自分」に対する強いこだわりそのものが、フォーカル・ジストニアの原因なのではないか?と思うようになりました。

また、直接聞いた話ではありませんが、フォーカル・ジストニアを発症したショックで、自殺してしまった音楽家の方もいらっしゃるそうです。

私はこの話を聞いたとき、「産まれてから一歩も病院の外を出たことのない人だって、この世にはたくさんいるのに、フォーカル・ジストニアを発症したショックで、自殺した人がいるの?」と驚きました。

亡くなられた音楽家のご家族やご友人の方々には、心からお悔やみ申し上げます。

しかし、音楽家とは全く関係の無いお仕事をされている方や、世間の大多数の人々は、多分私と同じ意見だと思います。

フォーカル・ジストニアの治療ー「一人の人間として誇りを持つ」

「フォーカル・ジストニアの発症=音楽家生命の死」であることには違いありませんが、「=その人個人の死」ではありません。

もし、自分を充分に肯定できている人なら、「フォーカル・ジストニアの発症=音楽家生命の死」≠「個人としての死」ということが当然に理解できていると思います。

このことを考えると、フォーカル・ジストニアの治療には、「音楽家である前に、一人の人間」として、誇りを持てるようにすることが何よりも重要なのではないか?と思います。

実際のところ、私がカウンセリングした音楽家の方は、「一人の人間」として自分に自信が無い方ばかりでした。

彼らは「音楽家」というコスチュームを外してしまったら、「自分には価値が無くなるのではないか?」という怖れを抱いているのです。

その恐れが強すぎるあまりに、脳神経外科医から見ると彼らは「せっかち」に映り、またパニック障害まで発症してしまうのです。

私が行うフォーカル・ジストニアの治療は、音楽家の方に「音楽家である前に、一人の人間として私には価値がある」という本物の自尊心を心理療法で身に付けさせることです。

本物の自尊心を身に付けることで、「音楽家としての自分」に対する強いこだわりが無くなります。

こだわりが無くなるということは、その背後にある「音楽家としての自分に対する強いプレッシャー」も同時に無くなる、ということです。

大変皮肉な話ですが、「音楽家生命が絶たれてしまったとしても、私は私個人として十分に価値がある」ということを心から信じられるようになったとき、フォーカル・ジストニアは治ります。

なぜなら、プレッシャーが消えることで、脳の中の「扁桃体」という部位が、「楽器演奏」=「人としての価値を失わせる、大変危険な行為」として認識しなくなるからです。

フォーカル・ジストニアを発症するか否かは、この扁桃体の認識にかかっています。

恐れが消えれば、フォーカル・ジストニアが治るのは自然の理であると言えます。

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