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私の場合、発表会1週間前から、何とも言えない不安感に襲われます。

発表会の会場に向かうために電車に乗っている間、これから処刑場に連行される死刑囚のような気持ちになります。

そのときの気持ちは、半分諦めがついたような、「どうせ、あがって失敗するんだから」と半分覚悟が決まったような気持です。

 

舞台袖で出番を待つ間、「歌詞を間違えたらどうしよう?」「あがって失敗したら、どうしよう?」と、緊張と不安感はクライマックスに達します。

額からは滝のような止まらない汗と、脇からは大量の汗が吹き出し始めます。

そして、心配したとおり、ステージ上でものの見事に大爆死します。

 

あがり症でお悩みのあなたも、「あるある!」「私と一緒だわ!」と深く同意されることと思います。

なぜ、あがり症の私たちは発表会でこんなにも緊張してしまうのでしょうか?

 

あがり症じゃない人は、「あがって失敗したからって、命までとられる訳じゃないし!」「もっと、気楽に考えれば?」と気軽にアドバイスします。

確かに、たかが一個人の趣味の成果を披露する発表会であがって失敗したからと言って、それで消費税が30%になる訳じゃないし、深刻な国際問題に発展する訳でもありませんよね。

でも、あがり症の人にとっては、ステージ上であがって失敗することは消費税が30%になることよりも深刻な大問題で生死に関わることなのです。

 

その理由は、あがって失敗することが「いつも完璧でなければいけない」というあがり症の人の価値観を否定することにつながるからです。

 

昔の私も含めて、あがり症の人は完璧主義の優等生が多いと言われます。

完璧主義の人は、自分や他人の失敗に厳しいところがあります。

なぜなら、「失敗することはいけないことだ」「いつも正しく、完璧でなければいけない」という価値観が根底にあるからです。

 

あがり症だった私も、仕事でミスをすると、まるで大きな剣山で心臓を一突きされたようなショックを受けて2~3日は深く落ち込み、いつまでもクヨクヨしていました。

こんなにも深く落ち込むのも、「失敗することはいけないことだ」という価値観があるからです。

 

発表会は、基本的に出場する人の家族や友人が聴きに集まる場所です。

もちろん、彼らとは何の利害関係もありません。

発表会が終わればそれっきり、おそらく2度と発表会の会場以外では会わないことでしょう。

それなのに、あがり症の人にとっては、発表会の会場に集まる見知らぬ人達が「極めて厳しいジャッジをする審査員」に思えて仕方ありません。

そして、歌や楽器の演奏を始める前から、「そのジャッジの結果は、ダメ出しのオンパレードに違いない」と決めつけています。

 

たとえば、音大の卒業試験やオーケストラの入団テスト、オーディションやコンクールなら、審査員が厳しいジャッジをするのも当然です。

歌や楽器の演奏が不十分な出来だったら、不合格となり卒業できない、楽団のメンバーになれない、入賞できない、という残念な結果に終わってしまうこともあり得ます。

そういうとき、あがり症でない人はガッカリはするかもしれませんが「今回は残念だったけど、また次回頑張ろう」「今回は練習不足だったかもしれない。入賞できなかったのも当然だな」「今回の入団テストは不合格だったけど、次回は別のオーケストラの入団テストに参加してみよう」と、素早く気持ちを切り替えます。

そして、また淡々と「次回へのリベンジ」に向けて腕を磨きます。

 

ところが、あがり症の人は始まる前から「結果はダメに決まっている」「残念な結果に終わったら、どうしよう?」と一人で勝手に脅えています。

その結果、緊張し過ぎるあまりにあがって失敗し、危惧していたとおりの結果を出してしまうのです。

 

なぜ、こんな風に一人で勝手に脅えてしまうのかというと、あがり症の人は子どもの頃から「ありのままの自分」を親に愛されたことがないからです。

たとえば、学校のテストの結果が良いときだけ親から褒められて、悪いときはけなされるとします。

そうすると、「自分の価値が認めてもらえるのは、テストの結果がいいときだけだ」という間違った考えが植え付けられてしまいます。

こんな考えが植え付けられると、常に「頑張って、テストで良い成績を出さないといけない」「テストの結果が悪かったら、親から褒めてもらえない」「テストの結果が悪い私には価値はない」と思いこんでしまいます。

その結果、「完璧」を追求し、「間違い」や「失敗」を極度に恐れてしまうようになるのです。

 

本来であれば、親というものは無条件で子どもを愛するものです。

ところが、無条件で愛してくれるはずの親が厳しいダメ出しをしてくるのですから、発表会に集まる赤の他人は、もっと厳しいジャッジをしてくるに違いない、と脅えているのです。

 

一人で自活できない幼い子供にとって、「親から愛される価値がある・ない」は、まさに生死に関わる問題です。

成人して自活できるようになれば、「親から愛される価値がある・ない」は、生死に関わる問題ではなくなるように思われます。

ところが、ここが人間の脳のシステム上の欠陥とも言える悲しいところなのですが、この「愛される価値がある・ない」は、成人後も死ぬまでその人につきまとうのです。

 

つまり、大の大人である私がステージ上でブルブル震えているとき、私の脳の中では子どもの頃の幼い私(インナーチャイルド)が「完璧に歌えなかったら、お母さんから愛してもらえない」「愛してもらえなかったら、生きていけない」と一人で勝手に脅えているのです。

あがり症でない人が私たちあがり症の人に向ける慰めの言葉―「あがって失敗したからって、命までとられる訳じゃないし!」は、あがり症でない人にとってはそうかもしれません。

でも、あがり症の人にとってその慰めの言葉は、「あがって失敗したら、愛される価値が無くなっちゃうのよ!」「親から愛してもらえなかったら、私は死んじゃうんだから!」というあがり症の人の恐怖を無視する、無神経極まりない言葉なのです。

 

あがり症のあなたも、慰めの言葉をかけられたとき「人の気も知らないで!」と、ムッとしたのではありませんか?

あなたが慰めの言葉をかけられてもムッとしたり、何とも言えない複雑な気持ちになったりしたのは、この慰めの言葉があなたの恐怖を無視しているからです。

 

したがって、あなたが発表会で異常に緊張する症状を治すためには、あなたの脳の中にいる幼い子ども(インナーチャイルド)の「完璧じゃなかったら、私には愛される価値が無くなっちゃうのよ!」という恐怖を心理療法で癒してあげることです。

インナーチャイルドが癒されることで恐怖を感じなくなり、発表会で異常に緊張しなくなります。

 

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